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柴又帝釈天

天気予報では曇りと言っていた昨日の東京。
予報ははずれ、かなりいい天気でした。
ということで柴又に行ってきました。

寅さんの映画はまともに一本も見たことはありませんが
見たような気になって
あ~懐かしいなあなんて思ってしまうのは
日本人だから?


参道には昔風に作られたお店が並んでました。
観光のために新しく作ったのかもしれませんが、
こういう町並みっていいですよね。
(あまりわざとらしく見えなかったので)
浅草寺の参道のお土産屋の並びよりこっちの方がいい感じでした。

駅前の寅さんの銅像。
本物よりハンサムに作ってあるような...。
芭蕉稲荷神社
江東区常盤1-3

言わずと知れた松尾芭蕉を祀った神社です。
29歳で江戸に来た芭蕉はしばらくは江戸市中に住んでいたけれども、
37歳の時にここ深川に移り住んだということです。
「奥の細道」の旅に出たのもここからだとか。

芭蕉没後、武家屋敷になり保存されてたようですが、
幕末から明治の争乱期に消失し、長い間そのままになっていたところ
大正6年にこのあたりを大津波が襲い、その潮が引いた後に
「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土し、ここに神社を建てたということです。
なぜ蛙が出てきた所が芭蕉庵だとわかったかというと
芭蕉のうちには蛙の置物が沢山あったそうです。
「古池や蛙飛びこむ水の音」の句を発表してから
沢山の蛙の置物が送られてきたからなんだそうです。
なんだか現在の芸能人や著名人対するプレゼントと似てますね。

その蛙はこの芭蕉記念館に展示してあります。

記念館の裏は隅田川になってます。
川から吹いてくる風が気持ちよかったです。

言わずと知れた松尾芭蕉を祀った神社です。
29歳で江戸に来た芭蕉はしばらくは江戸市中に住んでいたけれども、
37歳の時にここ深川に移り住んだということです。
「奥の細道」の旅に出たのもここからだとか。

芭蕉没後、武家屋敷になり保存されてたようですが、
幕末から明治の争乱期に消失し、長い間そのままになっていたところ
大正6年にこのあたりを大津波が襲い、その潮が引いた後に
「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土し、ここに神社を建てたということです。
なぜ蛙が出てきた所が芭蕉庵だとわかったかというと
芭蕉のうちには蛙の置物が沢山あったそうです。
「古池や蛙飛びこむ水の音」の句を発表してから
沢山の蛙の置物が送られてきたからなんだそうです。
なんだか現在の芸能人や著名人対するプレゼントと似てますね。

その蛙はこの芭蕉記念館に展示してあります。

記念館の裏は隅田川になってます。
川から吹いてくる風が気持ちよかったです。
東京大仏 乗蓮寺
板橋区赤塚5-28

赤塚城跡、梅林の場所から少し下った所に知る人ぞ知る
(あまり有名じゃない気がするので)
東京大仏があります。
これまでに2回来て2回とも時間切れで閉門されていて
(4時に閉めるのって早くないですか?)見られなかったので、
三度目の正直でやっと見ることができました。
黒光りしてます。大きいです。
奈良、鎌倉に次ぐ日本三大大仏の一つと言われることもあるようですが、
三番目の大仏と名乗っているのは全国にいくつかあるらしいです。
ちなみに奈良東大寺の大仏が15.0m、鎌倉高徳院の大仏が11.4mで
東京大仏が8.2mということです。
ただ、いかんせん建立が1977年とかなり新しい大仏なので
奈良や鎌倉と肩を並べられるかどうかはちょっと疑問です。

乗蓮寺の歴史は古く1591年に徳川家康より朱印地
(江戸時代、寺院や神社が徳川将軍から朱印状という文書を受けて認められた領地)
を授かりこの地に移ってきています。
8代将軍吉宗以降将軍家の鷹狩りの時の小休所としても使われたりしたので、
境内の所々に葵の御紋を見ることができます。



かわいらしいミニチュアのお地蔵さんが沢山置いてありました。

赤塚城跡、梅林の場所から少し下った所に知る人ぞ知る
(あまり有名じゃない気がするので)
東京大仏があります。
これまでに2回来て2回とも時間切れで閉門されていて
(4時に閉めるのって早くないですか?)見られなかったので、
三度目の正直でやっと見ることができました。
黒光りしてます。大きいです。
奈良、鎌倉に次ぐ日本三大大仏の一つと言われることもあるようですが、
三番目の大仏と名乗っているのは全国にいくつかあるらしいです。
ちなみに奈良東大寺の大仏が15.0m、鎌倉高徳院の大仏が11.4mで
東京大仏が8.2mということです。
ただ、いかんせん建立が1977年とかなり新しい大仏なので
奈良や鎌倉と肩を並べられるかどうかはちょっと疑問です。

乗蓮寺の歴史は古く1591年に徳川家康より朱印地
(江戸時代、寺院や神社が徳川将軍から朱印状という文書を受けて認められた領地)
を授かりこの地に移ってきています。
8代将軍吉宗以降将軍家の鷹狩りの時の小休所としても使われたりしたので、
境内の所々に葵の御紋を見ることができます。



かわいらしいミニチュアのお地蔵さんが沢山置いてありました。
亀戸天神 梅


亀戸天神は菅原道真の子孫・菅原信祐が1662年に開いたとされ
その造りは太宰府天満宮にならい池や橋等が配置されているとか。
んー、でも大宰府をよく知っている者から見ればそんなに似ているとは思えません。
こんなだったかなあ。

太鼓橋も大宰府にはありますがちょっと違うような。
でも、うまく考えて配置され、また藤棚とあいまって全体に趣があります。


4月から5月初旬が藤のシーズンのようなので、
梅と桜の季節が終わったら次回は藤の花を見にぜひともまた訪れたいです。
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